栄国寺について

栄国寺は、清涼山と号して八事・西光院第9世任空可信上人を開祖とする西山浄土宗に属する寺院です。
この付近は、昔、千本松原と称する刑場で、寛文4年(1664年)には、切支丹宗徒二百余名が処刑された遺跡です。その後、尾張藩二代目藩主光友公の意向により、この刑場を清須市・土器野(かわらけの)に移した後、この地一帯は寛文4年から 5年にかけて整備されました。そして、光友公は刑死者の菩提を弔うため、寛文5年、この地に清涼庵を建て、貞享3年 (1686年)に形態を整えて現在の栄国寺を建立しました。

境内には、切支丹遺跡、千人塚、仏足石、切支丹灯籠等があります。切支丹遺跡には、「慶安2年(1649) 己丑年五月廿五日」「南無阿弥陀佛三界万霊等」「施主町岡新兵衛」の文字を刻した名号碑があります。この碑は、寛文4年の教徒処刑以前の建立なので、慶安2年には、すでに相当数の切支丹宗徒の受難があり、その供養のために仏徒の前で建立されたのではないかとも考えられています。又、名古屋最古の三大佛の一つ、「火伏せ(かぶせ)の弥陀」として信仰の厚い、県重 要文化財指定の本尊、阿弥陀如来座像があります。この像は、 鎌倉時代の仏師春日作と伝えられ、寛文5年に犬山・丹羽郡 「塔の地」薬師寺の本尊をこの栄国寺に受難者慰霊のために移されました。本尊は、寛文年間以前より「火伏(火防)の不思議の弥陀」として諸願成就の霊験が知られ、旧薬師寺付近では当時より大火の記録がないと「尾張名陽図絵」に記載されています。戦災時、栄国寺一帯にも多数の焼夷弾が落とされましたが、いずれも不発でこの付近のみ被災を免れました。そのため、境内には多数の貴重な仏像があります。昭和44年に骨董品収集家 故佐藤銈一氏のご努力で、切支丹遺跡博物館を設立し、氏の寄贈によるマリア観音・宗門改め・踏み絵を始め、切支丹ゆかりの文化財的遺品百余点を収集し、展示しています。

正式名栄国寺
山号清涼山(せいりょうざん)
宗派西山浄土宗
所在地愛知県名古屋市中区橘一丁目21番38号
本尊阿弥陀如来
創建年寛文5年(1665年)

Kirisitan Museum切支丹遺跡博物館

切支丹遺跡博物館は一九六九年に切支丹 ゆかりの寺、宗教法人栄国寺に、慰霊、歴史 教育、観光のため設立された。 骨董品収集家の故佐藤銈一氏の寄贈に よる、隠れ切支丹に信仰の至情を託した マリア観音、宗門改めの踏絵などに併せ、 伴天連退治の制札、南蛮風俗画や櫓時計、 種ヶ島(火縄銃)など、文化財資料遺品コレ クション百余点が展示されている。

Matsubara Kindergarten松原幼児園(附属保育園)

栄国寺隣接の松原幼児園

松原幼児園は、栄国寺に隣接され、昭和23年4月に創設された、名古屋市内でも最も古くからある保育園のひとつです。児童福祉向上のため、宗教法人栄国寺が設立しました。街中にあっても、自然を感じられる広々とした園庭で毎日元気いっぱい過ごせます。また、子育て中の保育士も多数おり、働くママの気持ちを理解しつつ子育ての悩み相談等にも応じています。