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history南蛮紅毛文化切支丹略史年表
西暦 | 年号 | 事項 |
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1543 | 天文12 | このころポルトガル船が種子島に漂着、鉄砲を伝える。日欧通交はじまる。 |
1549 | 天文18 | ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝える。このとき、油彩の聖母子像を示す。 |
1550 | 天文19 | ポルトガル船が平戸に入港する。 |
1556 | 弘治02 | 宣教師トルレス、豊後の府内に教会堂と病院を設立する。 |
1559 | 永禄02 | 大友義鎮 府内をポルトガル人に開港する。ザビエル、日本を去る。狩野元信(1467年-)死ぬ。 |
1562 | 永禄05 | 肥前の大村純忠 横瀬浦を開港してポルトガル船を誘致す。大村純忠 洗礼を受け、最初のキリシタン大名となる。 |
1569 | 永禄12 | 信長 フロイスに京都布教を許す。 |
1570 | 元亀01 | 大村純忠 長崎をポルトガル人に開港する。 |
1576 | 天正04 | 安土城が築かれ、狩野永徳らが障壁画に描く。このころ、「聖母被聖天の教会」(京都南蛮寺)改築される。 |
1582 | 天正10 | 九州三候の遣欧少年使節がローマに向かって出発した。85年にローマに着き、法王に謁見する。本能寺の変。 |
1583 | 天正11 | このころ、イタリア人画家ニコラオ(ジョヴァンニ・ニッコロ)が来て、各地で絵を教える。自らも長崎と有馬で救世主の絵を描く。オルガンティーノ、秀吉に謁見。大阪に天主堂の敷地をあたえられる。 |
1586 | 天正15 | 大村純忠 大友宗麟が死ぬ。秀吉、宣教師追放令を出す。 |
1588 | 天正16 | 細川忠興夫人ガラシャが洗礼を受ける。 |
1592 | 文禄01 | 文禄の役。朝鮮出兵。蒲生氏郷 会津若松城(鶴ヶ城)を改築する。「王侯騎馬図」このころか、天草本「イソップ物語」「平家物語」刊行される。名古屋城が築造される。智積院の襖絵、このころか。 |
1600 | 慶長05 | 関ヶ原の戦。オランダ船リーフデ号でイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)来日する。リーフデ号の船首のエラスムス木像(1598年製)が栃木の龍江院に伝わっている。 |
1612 | 慶長17 | 名古屋城ほぼ完成。 |
1613 | 慶長18 | 家康、キリシタン禁教令を発布する。伊達政宗の家臣支倉常長、西欧へ出発する。 |
1614 | 慶長19 | オランダが平戸貿易をはじめる。キリシタン大名高山右近国外に追放さる。 |
1616 | 元和02 | 家康死ぬ。 |
1620 | 元和06 | 支倉常長、ローマから「常長像」「パウル五世像」をもっ て帰国した。 |
1622 | 元和08 | イギリスが平戸から退去した。 |
1637 | 寛永14 | 島原の乱おこる。そのときの天草四郎の軍旗が伝わる。本阿弥光(1558年-)死ぬ。 |
1638 | 寛永15 | 島原の乱に参加した南蛮画家山田右衛門作とらわれて、江戸につれてこられた。 |
1639 | 寛永16 | 鎖国令。ポルトガル人の来航を禁止する。 |
1646 | 正保03 | 天主教信徒である山下宗琢の婢、鳥取藩士 池田光仲に預けられる。 |
1651 | 慶安04 | このころ鳥取藩城下鳥取で信徒78人(内武士23人)つかまる。 |
1654 | 承応03 | 更に切支丹禁制の高札を建てる。 |
1655 | 明暦 元 | 耶蘇教徒を捕え死刑に処する。 |
1660 | 万治03 | 豊後にて切支丹信徒93人捕えられる。 |
1663 | 寛文03 | 5月 幕府は更に天主教禁断の令を追加する。 |
1664 | 寛文04 | 幕府は切支丹宗門の禁制を発令する。 |
1665 | 寛文05 | 鳥取藩 因幡高草大森村庄屋、39人隠置きの罪により磔刑。 |
1677 | 延宝05 | 臼杵藩では銅製の像の絵踏を実断する。 |
1682 | 天和02 | 幕府は伴天連訴人は銀子500枚とした。その後値を上げていった。 |
1687 | 貞享04 | 幕府は切支丹類族改め、信徒の近親遠族を監視する。 |
1695 | 元禄08 | 6月 幕府は切支丹類族改めを発令する。 |
1708 | 宝永05 | 大隈、屋久島に潜入した「シドチ」宣教師を捕え、翌年江戸小石川の切支丹屋敷に幽閉する。 |
1727 | 享保12 | 鳥取藩主 新法を発令、その内に切支丹取締の項あり。 |
1749 | 寛延02 | 鳥取藩より幕府への御答書に因幡伯耆両国に類族人154人(内114人病死、40名存命)と報告する。 |
1771 | 明和08 | 8月 鳥取藩は宗門改めを、この年より毎年春に行う旨と、六条の禁止高札を掲げる。 |
1781 | 天明 元 | 「アレンド・ウィルレム・ヘイト」を将軍に引見する。 |
1794 | 寛政04 | 幕府は各藩に対し、毎年一回、信徒状況報告の命を出す。 |
1825 | 文政08 | 異国船打払令が発せられる。 |
1842 | 天保13 | 「モリソン号」江戸湾に来航、異国船打払令緩和し薪水令にかわる。 |
1846 | 弘化03 | 「プロテスタント」会のベッテルハイム来るも、布教できず。 |
1853 | 嘉永06 | 6月3日、ペリー浦賀に投錨。 |
1854 | 嘉永07 | 幕府はペリーと日米和親条約を結ぶ。同条約もキリスト教の伝道を許さず。 |
1860 | 万延 元 | 「ゴオブル」宣教師来る。 |
1863 | 文久02 | 慶長元年長崎で死刑された26人は叙聖され、日本二十六聖人と称される。 |
1864 | 元治 元 | 神奈川の矢野元隆が「パラ」より受洗、プロテスタント教入信第1号。 |
1865 | 慶応 元 | 「プチジャン」は長崎の大浦に天主堂を建てる。 5月 潜伏信徒十数人が「プチジャン」に信徒であることを告白し、公にする。 |
1868 | 明治 元 | 浦上信徒約3000人を捕え、棄教を強いる。 |
1868 | 明治 元 | 浦上の信徒3400人を流刑に処し、西日本21藩に預け、棄教を強いる。 |
1873 | 明治06 | 切支丹禁制の高札は撤廃される。 |
1889 | 明治22 | 帝国憲法によって信教の自由が保障される。 |
1946 | 昭和21 | 11月3日新憲法は信教自由の保障を定め、政治と宗教を分離する。 |