名古屋最古の三大佛「火伏せ不思議の弥陀」阿弥陀如来像があるお寺 西山浄土宗 清涼山 栄国寺

栄国寺について

尾張藩の初代藩主の徳川義直、二代目藩主の徳川光友は、徳川の切支丹弾圧の時代においても、当初は切支丹に寛容であったとされている。寛永8年(1631年)より、藩内で切支丹伝道に携わった者の処刑を始める。寛永21年(1644年)から、正保2年(1645年)にかけて名古屋城中からも切支丹が捕らえられ、寛文4年 (1664年) には切支丹宗徒二百余名が処刑された。
寛文4年(1665年)、徳川光友が、刑場を千本松原から土器野(現・清須市)に移し、千本松原刑場跡地に、西光院第9世任空可信を開祖として開基とする。

阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来坐像

本尊の阿弥陀如来坐像は、尾張北部の丹羽郡塔ノ地村・薬師寺から光友が移させた仏像で、「火伏不思議の弥陀」と称せられ、鎌倉時代 仏師春日の作です。

薬師寺付近も大火がなく、戦時中の名古屋大空襲でも、栄国寺付近の家屋の焼失はまぬがれました。

名古屋三大仏のひとつです。

切支丹遺蹟博物館

切支丹遺蹟博物館は1969年に切支丹ゆかりの寺、
宗教法人栄国寺に、慰霊、歴史、教育、観光のため設立された。

境内案内