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東橘町史(古袖町)

栄国寺の西にある日置神社に織田信長が桶狭間で今川義元との合戦に出陣の途中必勝を祈願し(一五六〇)戦勝した御礼に千本の松を寄進したことにより、千本松原と称された。その後刑場であったが、二代藩主 徳川光友がこの地を栄えさせるべく刑場を西春日井土器野(城北)に移し慰霊のため清涼庵の一宇を建てた。(のち栄国寺となる。)

更に藩主は中村座、のちの橘座はじめ、多くの芝居小屋を作らせ古物をとり扱う道具屋を住まわせた。江戸時代は古袖町といい、明治になり東橘町と改められた。現在の橘小学校の発祥地は栄国寺内でもある。

キリシタン灯篭

文豪 森鴎外の京都別邸にあったもので、昭和44年に故佐藤銈一氏により寄贈されたものである。竿の部分が十字を表している。千人塚にも市内東区より移設されたキリシタン灯篭がある。 (別名 織部灯篭) 

名古屋最古の三大仏
火伏不思議の弥陀

【愛知県指定文化財】
藩主光友の命により清涼庵の本尊として寛文五年丹羽郡成東大字塔の地、薬師寺の本尊を処刑者慰霊のためうつした。高さ丈六正統派鎌倉時代春日の作と伝えられる。

寛文以前より一名火伏(火防)不思議の弥陀と伝えられ(江戸期の名陽図会所載)昔より霊験あらたかにて、現在に至るも塔の地旧薬師寺附近に大火なく昭和二十年三月と五月名古屋空襲の際も栄国寺に多数の焼夷弾が落下したが、すべて不発にてこの一帯のみ被災をまぬがれた。
栄国寺ご本尊

  • 真鍮踏絵(カルワリオ)

    徳川幕府は信徒を鑑別、あるいは検出する方法として踏絵の制度をとった。 はじめ、キリストやマリアの像を紙に書いて踏ませたが、多数の信徒に踏ませるため破損しやすいので、のち木版製にしたが、これも摩滅破損がひどいので更に真鍮製にしたものである。

  • 切支丹不動版画

    永禄年間、東北仙台藩にやってきた千秋兄弟が布教した信徒は不動の姿を梵字となし、巧みにゼウス(イエス)の頭文字J、胸にSなどをかくし祈ったという貴重な史料である。

  • 十字鉄瓶

    十字釜と共に珍しいもの。尾張犬山五郎丸附近にて発見。五郎丸は徳川初期、更屋敷と称され、一村ことごとく住民改宗せず当所で子供に至るまで処刑された。
    当時は宣教師(バテレン)が村の中央に立派な天主堂を建てていたといわれている。

  • 切支丹制札

    承応四年(一六五五)ばてれん訴人銀子三百枚きりしたん銀子五十枚の御褒美、五人組制の高札より明治六年(一八七三)高札撤廃まで宿場や辻に掲げられていた。明治元年四月には江戸時代の高札を政府は改めて五枚の新らしい掟として掲げた。その第三札に切支丹禁制を告示している。初期の高札は焼却されて残存していない。

  • 切支丹鉄鍔

    当時武士たちが刀に切支丹鍔をはめていたことは資料に残っており、この鍔は切支丹全盛時代の戦国鍔である。図柄の新鮮さといい、最高度のものである。鍔の妙味は鉄鍔にはじまり鉄鍔に終って幾度見ても飽きることを知らない。帆掛船鍔は舵に十字架を秘めたもの。

  • 五臓阿弥陀仏

    仏の体内に五臓六腑が収納されており、これは南蛮医学書を手本に仏師が製作したものと思われる。南蛮医薬は弘治三年(一五五七)日本に渡った。由来は仏も人も同じという教義のために伝えられ別名に歯仏微笑弥陀如来ともいわれ、少し歯が見え、ほほえんでいることによりこの名がある。
    半跏思惟阿弥陀坐像は、類例を見ない貴重な仏像である。
    栄国寺(秘仏)

  • 火縄銃(種ヶ島)長筒在銘

    一五四三年、三人のポルトガル人が五峰王直という支那の貿易商人の船で種ヶ島西浦の小さい入江に入港し、その人々が我国に鉄砲を伝えた。
    火縄銃は俗に種ヶ島ともいわれ、織田信長は密かに我国で作らせ鉄砲隊を組織、火器を知らぬ敵の度肝を抜いた。
    聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのはポルトガル人の種ヶ島来航から六年後、一五四九年である。

  • 遺蹟切支丹塚の地蔵

    異教徒は地蔵をジーゾース(ゼウス)の隠し名として地蔵をイエスと仮托。刑死された異教徒の供養のため清涼山栄国寺境内に礼拝地蔵を祭った。
    その後、町岡新兵衛建立の「南無阿弥陀仏三界万霊等」と名号碑が建った。全国に類を見ない切支丹遺蹟である。(注、イエスをポルトガル語でゼウスという。)

出品目録

  • 卍クルス聖像
    菩薩にかたどってあるもマリア観音によく見る立膝で胸に卍の彫あり。天草四郎の旗指物(聖旗)を描いた南蛮絵師、山田右衛門が所持したものと伝えられる。山田右衛門の墓碑は丸に卍のみ彫まれている。
  • 寺請証文
    宗旨を替える場合、檀那寺で異教徒でなき証明書を一札受取って宗旨がえするなど、何時の場合も切支丹信徒でなき証明が必要で且つ、寺院は切支丹でなき一項を添書した。